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ことば

昔は、他者への配慮として、ごく限られた人間関係の中でしか使われなかった、いわゆる差別語的な、品格に欠ける言葉や、心身の弱点を表す言葉が、今やネットで堂々と使われ、時には笑いの種にもする。
それを目にしたり、公の場で耳にしたりしたとき、自分のことでなくても、不快な気持ちになったり、傷ついたりする場合があると言うことを、それらの人たちは、想像することが出来ないらしい。
特にネットでは、顔の見えない、匿名の世界であるから、昔なら誰でも自然に気を遣ったような、些細な気遣いも、しなくて当たり前だという人たちが多くなった。
そういう自覚のない人たちを何と表したらいいのか、適当な言葉がない。

もう15,6年前のことになってしまったが、私の両親が同居していた頃のこと。
母のほうは、少し難聴であること以外は、自分で家事一切を取り仕切るほどの力は持っていたし、まだ人の手を借りるほどのことはなかったが、87歳の父は、人格的な衰えはないものの、日時の間違いや、物忘れなどと言う、軽い衰えが生じていた。
短歌を作り、歌会に出かけ、日常的な会話や、テレビを見ながら、あれこれ話題にしたり、と言うようなことは、ほとんど変わらなかった。
ただ、高齢になって、急に住まいが変わったため、散歩に出かけると、道がわからなくなり、迷うというようなことが度々あり、その点は苦労した。
まだ介護保険制度などがない時代なので、行政の手を借りる事も、十分ではなく、基本的には、昔ながらの、家族介護が基本だった。
また、今で言う「認知症」などと言う言葉もなく、少し「ぼけ」症状が出た高齢者は、「痴呆」などと言う、イヤな言葉で称されて、ひとくくりにされていた。
昔から使われていた「ぼけ」という言い方のほうが、よほど優しいのに。
専門の医者も、居るのか居ないのか、わからないような、そんな時代だった。

私は、記憶障害や、日常のことに衰えがあっても、「痴呆」などと言う言葉を、自分の親たちに使いたくなかったので、申請すれば、なにがしかの補助があることは知っていても、なるべく使わずに済ませたかった。
しかし、高齢者用のケアハウスで、週に1,2度、体操や、趣味のサークルに参加したほうが、家に籠もっているよりいいと言われ、試しに、父を連れて行って体験させて貰ったら、元々人と接するのが好きな父には、合っているように思い、利用することにした。
ただ、そのためには、一応、父の状況を、専門のスタッフに調べて貰ったり、健康状態も見て貰う必要があるので、手続きした。
その頃はケアマネージャーと言ったように思うが、女性のスタッフが家にやってきて、父にいろいろな質問をしたり、軽い運動機能を試したりして、帰って行った。
そして、父はデイケアの対象になり、母と私達夫婦の生活時間が、多少それに合わせて変化した。
デイケアの日は、朝9時頃に、送迎用のマイクロバスが、表通りの決まった場所まで迎えに来て、ピックアップしてくれる。
そこまでは家から7,8分かかったが、私が送っていった。
帰りも、午後の決まった時間に、同じ場所まで迎えに行くが、私が遅れるような時は、母が代わりに迎えに行った。
そうやって、父はケアセンターで、「短歌の会」と、「社交ダンス」、「習字」などのサークルに入れて貰い、週に2回の「通所」を段々愉しみにするようになった。
その頃と相前後して、父は、年に一度の高齢者検診を受けることになり、その際、デイケアに通っていることは、健診の表に、あらかじめ、書かれてあった。
私は、家から近い個人医院に、父を連れて行ったが、通常の健康診断のほかに、幾つかの問診もあった。
私は傍に付き添っていたが、医者の問診は、特に難しいことはなく、父は、自分の言葉で応対した。
すると医者は「ああ、普通に、お話しできるんですね」と、ちょっと意外な反応をした。
一口に「ぼけ」と言っても、人によって、進行の具合や、症状は違うのだが、その医者は、見たところ、60歳は過ぎていたように思えるのに、そういう理解はあまりないように見えた。
「まあ、日常のことには、特に支障はないんですが」と私は口添えし、健康状態も、問診の範囲では、特に問題なく済んだ。
検診の結果は後から来るが、この日の様子では、特に、それ以上の検査などもなく、家での生活と、デイケアで、無理なく日常が過ごせるだろうと、私は思った。

診察券などを返して貰うために、待っていると、丁度、医者が顔を見せたので、父が立ち上がって、医者の所に行き「私の病気は何でしょうか」と訊いた。
健診であることはわかっていたが、診察室では、医者は簡単な問診だけで、それ以上言わなかったので、父は、自分の体に何か問題があるのかと、気になったのだろう。
すると医者は「アナタは老人性痴呆症です」と応えた。
これには私のほうがびっくりした。
確かに、問診の時、医者の質問に、考え込んだり、答えが出ない点がいくつかあったが、それは、脈絡なく訊かれたことに、ちょっととまどったり、何と答えようかと考えたりしているようなことで、若い人でも、淀みなく答えるような人ばかりではなく、遠慮がちで、無口なタイプの人に、時々見られる、性格的な癖とも言えるものである。
それを、いきなり「痴呆症」などと決めつける言い方は、どう考えたらいいのだろう。
父は「ああ、そうですか」と答えただけで、それ以上訊かず、私の隣に戻った。
父には、言葉の意味はわかっている。
多分、傷ついた筈だ。
余りにも、失礼だし、患者をバカにした言い方ではないか。

私は怒りを覚え、よほど、医者に抗議しようかと思ったが、そんなことを配慮無く本人に言うような医者は、そもそも、人格的な問題があり、患者や、健診に来る人たちに、上から目線で接し、内心侮っているのだろう、病気なのは、この医者のほうだろうから、多分、付ける薬もなく、治る見込みもないだろうと判断した。
こういう、人格障害的な人は、医者に限らず、政治家や、学者先生などにも、時折見られる。
テレビの対談や座談会で、ことばだけは丁寧だが、内心相手をバカにしていることが、表情から見て取れる場合がある。
映像は正直である。

以後、2度と、その医者には掛からないことにしたが、こんな医者が、市の健康診断対応病院/医院として、名を連ねていたのである。
現在、そこは、医者の看板が掛かっていないから、代替わりしたのだろう。
しかし、こういう経験をしたことは、何かの機会に、しかるべき場所と相手に、伝えたいと思っている。

私の心配は、面と向かって「痴呆」などと言われた父が、どんなにイヤな気持ちがしただろうと言うことだったが、帰り道、父の口から、その話は出なかった。
娘の私に対して、父のほうが思いやってくれたのかも知れない。
イヤな思いをした時、それを長く覚えている場合と、すぐに忘れてしまう場合がある。
父は、幸いにして後者のタイプらしかった。
神様の配慮である。
そして、それからもせっせとデイケアに通い、気の合う仲間も出来、時々、道に迷ったりしながら、散歩にも出かけたりした。
「字を忘れると困るから」と言い、私と散歩する時には、道すがら、人の家の表札を声に出して読んだりした。
2006年5月、父は亡くなり、95歳だったが、誕生月なので、私は、父の享年は96歳と思っている。

連休も終わり・・・

国際フォーラムで三日間に亘って行われた、「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」のバッハ祭りは、5日の深夜に終了。
昨日で連休も終わった。

昨年の連休も、遠出を取りやめて東京にいた私は、はじめてこのお祭り(昨年はシューベルトがテーマ)に参加したのだが、通常のコンサートとは違う熱気があって、楽しかった。
そこで、今年も、最初から、ラ・フォル優先で予定を組み、チケットも、好みのプログラムを早々確保した。
日本列島が、民族の大移動になるような時期、込んだ高速道路なんかでイライラするよりも、音楽に浸った方が余程いいではないか。
そこで、4日の午前11時15分から、夜の11時半までに渡り、6つのコンサートをハシゴしたのである。

さすがに疲れたが、バッハの「カンタータ」「ロ短調ミサ」、ペルゴレージの「スタバト・マーテル」、ブクステフーデなど、演奏はそれぞれに素晴らしく、魅力があり、満足した。
5日、最終公演の「マタイ受難曲」は、チケットが買えず、残念だったが、朝から雨模様。
段々雨脚が強くなり、深夜に及ぶ「マタイ」に行かなくて良かったと、負け惜しみを言いながら、家で休養した。

全公演終了後は、直ちに、全ての装置が取り払われて、元に戻ったそうな。

新型インフルエンザの脅威はあるだろうが、あちこち散らばっていた人たちも、職場や学校に戻り、静かな日常に帰りつつある。
でも、昔は、土曜も休みではなかったし、5月も、3日の憲法記念日、5日のこどもの日があるだけで、連休とは言えなかった。
たまに4日が日曜日になれば、3日連続の休みになったわけだが、祝日が日曜日と重なっても、振替休日にはならなかったから、「飛び石連休」などと言って、間の一日を、学校や会社に行ったのである。
考えてみると、勤勉で、あまり楽しみ方も少なかった、旧来の日本人は、今のような大型連休があっても、どう過ごしていいか、困ったに違いない。
私は、国民全体が一斉に長期間休む今の状況、あまりいいとは思わない。
それよりも、それぞれが、好きなときに、一定の長さの休暇が取れる方がいいように思うが、教育現場はそうも行かないだろうし、会社の効率から言っても、まとめて取って貰った方がいいと言うことになるだろう。

ともあれ、年末年始に続く、日本列島民族大移動の季節は、昨日で終わり。
いろいろな事情で、長い休みを歓迎しない人もいるのではないかと、ちょっと考えてみた。

昨日は雨だったが、夜、合唱の練習に行く。
先週(4月29日)もそうだったが、祭日も練習はしますと言うことで、開始時間を1時間繰り上げ、6時から始まった。
先生も、自宅から車で来た。
大雨の中、ちゃんとパートが揃ったのは素晴らしい。
今、アネリオの「レクイエム」を練習している。
4月にアルトひとり、今日からソプラノにひとり、新人が増えた。
願わくば、若い男声会員が、あと2人くらい欲しいところである。

きょう早朝、ゴルフに出かけた夫が、「雨で中止になった」と言って、帰宅。
天気予報は、晴れるはずだったという。
かなりの降りなので、諦めて中止にしたらしい。
以前は、雨中のゴルフも厭わなかったが、みな、若くはないので、最近は無理はしないことになったらしい。
ほとんどがリタイアしているので、民族大移動の時期をずらし、平日に行くことが多くなった。
仲間内には、プレーの最中に心臓が止まって、亡くなった人もいるが、滅多にない例である。
知らせを受けた奥さんは、「本人が好きなゴルフをやっていて、皆さんに見守られて亡くなったのですから、幸せです」と言っていたそうな。
男の人は、皆、それに近い願望があるのか、その後ゴルフを止めたという人は居ないらしい。
ゴルフ場は、危機管理が良くできていて、そうした場合の対応は、素早いという。

現役時代は、気が進まなくても、休日に付き合わねばならなかったゴルフ、仕事がらみで、あまり楽しくはなかったらしいが、今は、気の合う人たちとの、趣味のゴルフなので、嬉々として出かけていく。
それが出来るうちは、元気だと言うことなのだろう。
趣味で楽しんでいるのだから、私も無理しないわよと言い、前の晩にご飯が炊けるようにセットしておくことと、味噌汁を下ごしらえしておくくらいのことしかせず、亭主殿の出かける時間は、白河夜船である。
以前は、早朝に起きて、食卓を整え、送り出したものだったが、そんなことに付き合っていると、体が持たないので、最近は、勘弁してもらう。
幸い、車の運転の好きな仲間がいて、順番に拾っていってくれるのは有り難い。

逝く年に

日頃の怠けが祟り、歳末に慌ただしい思いをするのも、むべなるかな。
ここ2、3日は、昼間パソコンを開けるヒマがない。
幸い晴れた日が続くが、午後も3時になると、ベランダに差し込んでいた太陽の光も弱まってくる。
5時になり、もう電気の明かりでなければ、何も出来なくなったので、作業は止めて、束の間、机に向かう。
メールも、私的なものは、年末に来るという身内の一件のみ。
同性の友人達は、皆、年越しの準備で忙しい筈。
私の管理している文芸掲示板だけは、動いているが、正月3日までは、事実上休業状態になるだろう。
ただ、管理人は、時々ボードを開けて、不埒者が、変な書き込みなどしていないか、チェックしなければならない。
幸い、私の管理するものに限って、この6年間に、そのような事態は皆無であったが・・・。

この日記も、多分、これが今年最後になると思う。
あとは、SNSの音楽関係の記事で、編集中のまま、非公開状態にしてあるものを、なるべく、完成させて、年内に、公開しておきたいが、いつの間にか、10件近く溜まってしまった。
こういう物は、不完全な形でも、その時点で、書き上げてしまわないと、生の感想が薄れてしまうと、反省しきり。
今後は、タイトルと、プログラムくらいにしようと思う。
私は、音楽評論家ではないのだから、「良かった」「感動した」くらいのことで、いいわけだ。

1年は短いようだが、考えようによっては長い。
音楽も、読書も、創作も、未知の場所への旅も、美しいもの、素晴らしいものに巡り逢えることは、大きな喜びである。
そして、魅力のあるひと、心の通じ合える人と出会うことも、それに劣らぬ喜びであろう。
ネットに限ってみても、広い宇宙のような空間から、一粒の砂のように、触れ合った人との縁は、大事にしたいと思う。
でも、時には、かけがえのない宝物を無くすように、折角縁の出来た人とも、訣別しなければならないこともある。
お別れしましょうなどと、言葉にして言わなくても、お互いに脚が遠のき、音沙汰なくなれば、それは、やはり、別れと言えるだろう。
そんな悲しいことが、この一年の間にも、ひとつふたつあった。

ちょっとした言葉の行き違いに端を発したことは、お互いの誠実な対応の結果、修復可能な場合もあるが、どちらかが、もう、修復したいと思わなければ、それで終わりである。
はじめは、魅力のある人だと思って近づき、縁が出来ても、時間が経ち、ある程度見極めてしまうと、段々面白さが失せ、色あせてくるのは、仕方のないことかも知れない。
人間は、小さな存在だから、誰でもが、そんなに多くの物を、兼ね備えているわけではない。
興味の対象でなくなってしまえば、相手の気持ちを、読みとろうとしなくなり、付き合いを続けていくことの煩わしさの方が、先に立つこともあるだろう。
常に新たな出会いを求めていくタイプの人にとっては、未知なるものへの飽くなき好奇心と、どん欲さに勝るものはないのだから。

人は、誰かに出会い、触れ合うことで、影響を受け、それによって相手も変わっていく。
ある時、年下の人からそんなことを言われて、感銘を受けた覚えがある。
そして、自分のような者でも、誰かに、「あなたに会えてよかった」と言われたら、それは大きな喜びに違いないと思ったのだった。
でも、縁を持った相手に求めるものは、人によって違う。
利得のためとは言わずとも、純粋無垢だけではない動機もあるだろう。
特に、人生の途上にあって、自分自身を向上させ、膨らませ、より高く飛びたいと思っている人にとっては、必ずしも、全ての出会いが、プラスと思えないこともあるだろう。
人間というのは、時に非情だから、そんなときは、邪魔な物はどんどん棄てて、新しい出会いを求めていくのかも知れない。
折角巡り会って、大事にしたい縁の人でも、相手がそんな気持ちでいると解ったときは、「いままで有り難うございました。お元気で」のひと言を残して、潔く立ち去るのが、自分を貶めないための、賢いやり方かも知れない。
ただ、言えるのは、人間は、どんな人でも、ささやかな誇りを持って生きていると言うこと。
バランスシートや、人脈のために、人と付き合うのではないのだ。
それをわきまえていない人、相手の「五分の魂」を傷つける人は、どんなに才能があり、学識に溢れていても、私の友だちではない。

2008年よ、感動と刺激に満ちた1年を有り難う、そして、さようなら。

梅香る

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春というのは、どうも好きじゃありません。
花粉症かって?
いえ、私は幸いそれには縁がなくて・・。
ああ、あなたの場合は、まずそれなんですね。
咳とクシャミですか。
泪目?
それは鬱しいでしょうね。

私の場合は、この時期、思い出さなくていいことが、あれこれ蘇ってきて・・。
人と別れるのは何故かこの時期。
梅の香りがしてくるともういけません。
自然に胸がじわっとして、まぶたが潤んでくるんです。

そう、もう2年前になります。
好きな人がいたんです。
向こうがどう思っていたかは知りません。
私はいつもそうなんです。
相手の気持ちはどうでも良くて・・・いえ、どうでもいいっていうのは、違いますね。
自分に自信がないから、そんな言い訳をしてるんですが・・。


とにかく、好きな人がいたんです。
寡黙な人で、誰とでも、親しく話をするタイプではありませんけど、たまに発する言葉が、心に響いてくる。
みんなでガヤガヤ勝手なことを言っているときに、黙って聴いていて、会話が途切れたときに、ぽつんと一言いうんです。
それが、妙に当を得ているんです。
さんざんみんなでたたかわした議論がどこかに行ってしまって、その人のひとことで、決まってしまうということが、よくありました。

始めは気取ってるなとか、格好を付けてるなと思いました。
でも、その人は、そんなつもりはないんです。
「話が速すぎてついていけないよ」と言いました。
何か言おうとすると、すぐに話が違う方に発展してしまう、考えている間に、どんどん先へ行ってしまうから、口を差し挟む間がないんだとも言いました。
そして、結論が出る頃に、やっと話の全体が見えてきて、自分の考えもまとまり、そこで出した意見が、何故か、採用されてしまう結果になるだけなんだと、苦笑してました。
やっぱり、ものすごく頭がいいのだとわかりました。
私は、利口な人は好きではありませんが、本当の意味で頭のいい人、賢い人は、男女に限らず、とても惹かれてしまいます。
自分にないものだからでしょう。

そんなことがあって、だんだん私はその人が好きになりました。
二人きりになる機会はないので、ある時、手紙を書きました。
教えて欲しいことがあって、でも、それは口実でしたけど、出したんです。
今どき、電話もメールもある時代に、手紙なんて、古いって?
アラ、私の時代は、それが当たり前です。
返事は、期待していませんでした。
もちろん、質問したいことの他には、何も、書いていません。
すぐに返事が来ました。
質問に対する答が書いてあって、「また私で応えられそうなことだったらいつでもどうぞ」と結んでありました。

嬉しかったですね。
あとで思うと、そんな何でもない手紙だから、向こうは、すぐに返事も書けたのだし、そんな一言も書けたのでした。
それを、特別に感じてしまった私が、いけなかったんですね。
考えてみると、決して派手なことのない、でも、人には細かな気遣いする人だから、その人に惹かれる人は、ほかにもいたんです。
偶然の事実から、それがわかりました。
その人には、罪はないのです。
親切に、私の手紙に返事を出していただけ・・。

でも、それがわかって、私は、その人から離れることにしました。
その人を含む集まりに、行かなくなりました。
「どうしたんですか。最近、ちっとも顔を見せませんね」という葉書が来たのは、ちょうど梅が咲き始めるころ。
私が行かなくなって、2ヶ月ほど経っていました。
どんな返事を書くべきか・・。
黙ってそのままにしていれば、それきりのこと。
そして、またそしらぬ顔で、出かけていけば、何もなかったことで済んでしまいます。
「久しぶりだね」と、笑顔で迎えてくれて、以前と同じように、交流が続くでしょう。

でも、私はそうしませんでした。
妙に正直というのか、不器用だというのか、アラ、そうね、なんて簡単に頷かないでください。
その人に「お会いするのがつらいから、もう行きません」と返事を書きました。
それで、その人は、やっと私の気持ちに気づいたようです。
いえ、もしかしたら、前からわかっていて、やり過ごしていただけかも知れません。
「そんなこと、言わないほうが良かったのに。残念です」と返事が来ました。

ええ、それだけです。
その人としては、そう言う他はなかったんでしょう。
口に出してしまったら終わりです。
ああ、見ている間に、また一輪咲きましたね。
夕べ、ひどい風だったから、心配してましたが、案外と強いんですね。
紅梅の香り。
まだしばらく愉しめそうです。
お寄り下さって、有り難うございます。
嬉しかったので、つい、余計なこと、話してしまって・・。
いえ、あなたはご存じない人のことですから・・。
あ、コーヒーが出来たようです。
ちょっとお待ちになって・・。

(「幕間のセリフ-2004-02-24-」より転載)
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TITLE: 梅香る
URL: http://ela-mesmo.at.webry.info/200902/article_2.html
BLOG NAME: 森の時間ー風の色
DATE: 02/05/2009 01:19:32 PM

今日は節分だが、豆まきの声も聞こえなかった。
隣家の子供が小さいときは、元気のいい声と、蒔いた豆がいくつか我が家の敷地内にも、入っていたものだが、成人した今は、いるかいないか分からないくらい静かである。
他にも、子供が居ないわけではないのに、豆まきだけでなく、外で遊ぶ子供の声を聞かなくなった。
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