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金木犀

ホラ、ちょうど真正面に見えるでしょう。
大きな金木犀。
この間まで、いい匂いがしてたんですけど、あらかた散ってしまいました。

そうですか、もう49日が済んだんですか。
ご丁寧に、ご挨拶恐れ入ります。
お別れに行きたかったんですけど、何だか、黙って、一人で故人を偲んでみたくて・・。
人に言付けてしまって、ごめんなさい。

入院なさってから、一度だけ、お見舞いに伺いました。
たまたまどなたもいらっしゃいませんでした。
あの方は、静かにやすんでおいででした。
「面会謝絶」になっていたら、そのままお花をナースセンターにあづけて、帰るつもりでした。
でも、看護婦さんが、ちょっとだけならと許可してくれたので、お部屋に入れていただきました。

窓際に面したお部屋には、かすかに消毒薬の匂いがして、カーテン越しに柔らかい日差しが漏れてきていました。
あの方は、少し顔を窓に向け、目をつぶっていらっしゃいました。
私は、音をたてないように、そっと、側に立てかけてあった椅子に腰を下ろし、しばらく、そのお顔を見ていました。

私の気配を感じたのでしょうか。
こちらをむいて「・・・」と唇を動かしたように見えました。
声が聞き取れないので、「ん?」と、私が顔を見ると、あの方は首を振って、少し微笑んだように見えました。
そして、点滴の針の刺さった手を、こちらに伸ばそうとしました。
私は、そっとその手を、元の位置に戻し、何か言おうとしました。
でも、言葉が出なかったのです。
見つめていると、涙がこぼれそうでした。
あの方は、そんな私に、何も言わなくていいよというように、微笑んだまま、ジッと、私の顔を見ていました。

この6年ほど、どちらからともなく、音信不通になっていたのです。
些細な行き違いだったんですけど、そのままになっていて・・。
お知らせを戴くまで、そんなに重い病気に掛かってらしたとは、知らなかったのです。
久しぶりにお会いしたのが、病室だったとは・・。
いいたいことが沢山あるのに、言葉が出てきません。
そうやって、どのくらいの時間が経ったでしょうか。
ずいぶん長いようにも、ホンの一瞬だったようにも思われます。

看護婦さんが来て、「検温しますから」というのを合図に、私は、部屋を出ました。
一瞬、私たちの視線が、空中でぴたりと重なりました。
その時、私は、これがお別れだと、解ったのです。
「さよなら」とあの方の目が言っているような気がしました。
それから、どんな風にして、家まで帰り着いたのか、覚えていません。

1週間後、亡くなったというお知らせを戴きました。
金木犀が、花を付け始めていました。
ずっと前、あの方と、都心の公園で、金木犀を眺めたことがあるのです。
それは見事な木でした。
家の庭にもあるというと、「庭木には向かないんじゃないかなあ」と仰いました。
確かに、こうして眺めてみると、家の庭には、大きすぎます。
やはり、そう思われますか。
え?これを私にって、そう仰ったのですか。
エッセイ集を自費出版なさっていたことは、伺ったことがありました。
でも、見せて欲しいと言っても、いつも笑って、見せてくださらなかったのです。
ああ、奥付に私の名前が入ってますね。
今になってこんな・・。
ごめんなさい。
わざわざお持ち下さったのに、どう申し上げたらいいのか・・。

(2003年10月20日「劇場空間」に掲載)

ポール・ニューマン逝く

9月26日、ポールニューマンが亡くなった。
83才、 癌だったという。
最後は、病院よりも、妻の傍で過ごすことを選び、寿命が尽きた。
若い頃の彼は、あまり好きではなかったが、中年になる頃から、渋みが加わって、いい役者になった。

出演映画の中で、私の記憶に残るのは、下記の作品。
「熱いトタン屋根の猫」・・・1958年、リチャード・ブルックス監督。共演:エリザベス・テイラー。
「孤独な関係」・・1960年、マーク・ロブスン監督。
妻のジョアン・ウッドワードと共演したが、役柄は、不仲の夫婦である。
「引き裂かれたカーテン」・・・1966年、アルフレッド・ヒチコック監督。共演:ジュリー・アンドリュース。
「明日に向って撃て!」・・・ジョージ・ロイ・ヒル監督。共演:ロバート・レッドフォード。
ブッチとサンダンスの物語。
「スティング」・・・1973年、ジョージ・ロイ・ヒル監督。
「タワーリング・インフェルノ」・・・1974年、ジョン・ギラーシン監督。共演:スティーヴ・マックイーン。
「ノーバディーズ・フール」・・・1994年、ロバート・ベントン監督。

この中では、「スティング」、老境に入ってからの男の悲哀を演じた「ノーバディーズ・フール」が好きだ。合掌。

図書館の時間

午前中に市内の高齢者施設へ。
昨年暮れから、月に2度くらい、ボランティア に行くようになった。
自転車なら、20分ほどで行けるが、今日はあいにくの雨。
バスを乗り継いでいくが、乗り継ぎのロスタイムがあるので、かえって時間が掛かる。
バス停から施設までは、坂道なので、心臓があまり丈夫でない私には、ちょっとキツイ。
7月までは、月に2回行っていたが、9月から1回にして貰った。
代わりに、個人宅へ月に2回行くことになったが、そこは、大学のキャンパス内。
私も一時、勉強に通ったところなので、自転車でも、バスでも、ずっと行きやすい。

さて、今日は施設だが、幸いバスの乗り換えがうまく行き、定刻5分前に着いた。

終わって帰りのバスに乗ったが、途中にある小さな図書館に寄ってみたくなり、途中下車。
私の家の近くにある本館より、すいていて落ち着ける。
「文藝春秋」を読み、新聞と週刊誌をちょっと斜め読みしてから、本棚を見て歩く。
重さを気にしながら、9冊選んだ。
本館に無いクラウス・コルドン「ベルリン1945」があったのは、収穫だった。
同じ作者の「ベルリン1919」「ベルリン1933」を読み、3冊目を読みたいと思っていたのだ。
あとは、佐藤愛子の老後シリーズ4冊、車谷長吉「忌中」、バルテュス夫人節子の「グラン・シャレ 夢の刻」、そして「地球の歩き方ハワイ篇」二巻。

音も聞こえないほどの、秋の雨。
館内も、人はまばらで、静かである。
本棚を見ながら、あれこれ探索しているうちに、いつの間にか午後1時を過ぎていた。

食は文化

この記事はちょっと紹介したい。

http://helio.jugem.jp/?eid=743

直接の感想と言うことでなく、感じたこと。
終戦直後の飢えの時代。
動物的なひもじさというのは、私も経験している。
食べ物を残したり、粗末に出来ないのは、子どもの時の経験があるからだ。
ホテルのバイキングなどで、つい食べられないほどの料理を皿に盛り、結局、残してしまうときの、後ろめたさ。
ゴミ箱に行くしかないようなことをしても、罪悪感を持たないようになり、「勿体ない」なんて言葉も、死語になってしまった。

いつか野坂昭如が、どこかで言っていた。
「僕は大人が飢えるところを見たくない」と。
子どもが、の間違いではない。
飢え、などと言うことを知らない今の日本人には、想像できないことであるが、人間は、本当の飢餓に出会ったとき、人間性などという物は、喪失する。
少ない食べ物をどう分けるかというときに、親ならば、まず、子どもに与える。
しかし、本当に飢えに晒されたとき、自分の子どもの食べ物まで、奪ってしまう。
そんな状況になった大人を見たくないということなのだ。
「火垂るの墓」など、彼の文学には、人間性を保てなくなった状況にある大人達のことが、良く書かれている。

飽食などと言われて久しいニッポン。
地球上には、まだ、飢えで死ぬ人たちが沢山いるというのに。
食べ物に対して、奢りの気持ちだけは、持たないようにしたい。
作った人のことも、考えたい。
子どもに、それを教えるのは、親の一番大事な役目であろう。
そんなことを思った。

爽やかな秋の始まりの筈だが・・・

8月は暑い日が続いたが、終わり頃は雨ばかり。

今日から9月。断続的な雨。

洗濯物を干しそびれた。