FC2ブログ

真珠湾

ハワイで印象的だったのは、パールハーバーの「アリゾナ記念館」と、湾岸戦争時まで使われて、今は観光客にも公開されている「ミズーリ号」だった。

はじめ、ツアーに申し込んでいたが、なにかの手違いで、時間になっても迎えのバスが来ない。
業者に電話すると、私たち一家の名前を、他の人と間違えて、別のホテルに迎えに行ってしまったことが解ったが、ツアーはとっくに出てしまっている。
料金は、全額返してくれると言うが、それでは、早朝、朝食もそこそこに、時間前に来て待っていた、私たちの一日が無駄になってしまう。
交渉の結果、往復のタクシー代と入場料を払えば、日本人ガイドを1人付けてくれると言うことで、話がまとまり、タクシーで、パールハーバーに行くことになった。
日本人案内人を要求したのは、通常の観光と違い、パールハーバーは、軍港であり、持ち物や、写真撮影などに、ある程度制約があるので、不確かな英語で、トラブルに巻き込まれたら困るからである。

私は「父親が、戦争体験者だから、太平洋戦争の始まりとなったパールハーバーを、是非見たい」と強調した。
最初、お金を返して、ことを終わらせようとした業者も、ミスを認めて、謝罪の気持ちを持っていたので、結果的には、私たち四人の為のタクシーの往復と、日本人ガイド付きの見学で、団体客よりは、きめ細かなツアーになった。
ツアー料金も、団体より安く済んだことになる。

行ってみてわかったのは、パールハーバーは、観光客が多く、入場するのに、二時間以上掛かるため、早朝に行って、順番待ちしなければならないと言うことだった。
急に自宅から呼び出されて、私たちのガイドになってくれた現地在住の日本人女性は、実に要領よく、パールハーバーの「アリゾナ記念館」と、「ミズーリ号」を廻ってくれて、団体ツアーに劣らぬ結果を得ることが出来た。
自分たちだけで行っていたら、多分マゴマゴして、予定の見学は、半分も出来なかったと思う。

パールハーバーに着く前に、「反日感情はありますか」とガイドに訊いた。
アメリカ人にとって、パールハーバーは、「騙し討ち」の象徴であり、何かと、日本叩きの合い言葉になって来たからだ。
しかし、歴史が検証される中で、アメリカは、日本の真珠湾攻撃を事前に知っていたと言うことも、ほぼ明らかなようであるし、特に、2003年、先代のブッシュ元大統領が、「真珠湾で起こったことは歴史上の事実だが、互いに恨み合うよりも、ひとつの教訓として、今後に生かそう」という主旨のメッセージを公にしてから、反日的な反応は、ほとんど無いという話だった。
「だって、アメリカ在住の日本人は、ずいぶん、この国のために尽くしてますもの。それは、多くのアメリカ人は認めています」と言うことだった。

「ミズーリ号」では、終戦の調印が行われた場所を見ることが出来、「アリゾナ号」では、日本軍によって沈められた戦艦の残骸と、今も、油が海に流れ出している現場を見ることが出来た。
年配者の多いアメリカ人は、黙って海に花ビラを注いで、千人という死者達の霊に、祈っていた。
私は「ミズーリ号」で、特攻機で体当たりして、死んだという十九歳の日本人兵に、黙祷した。

記念館になっている建物の庭には、「人間魚雷回天」が、展示されていた。
人間1人がやっと乗れるような、こんな小さな潜水艇で、若い兵隊が、片道だけの燃料を積んで、体当たりしたのかと、胸が詰まった。
日本では、こうした無名戦士を偲ぶための施設も、記念館もない。
戦争の勝ち負けにかかわらず、国のために死んだ人たちを、政治や宗教を超えて、鎮魂する場所が、矢張り必要だと感じた。

バッハ「マタイ受難曲」から39番。
バイオリンに続いてユリア・ハマリのソロ。
「憐れみ給え、神よ、
我が涙のゆえに」
タルコフスキイの映画「サクリファイス」の冒頭と最後に流れるアリア。



金木犀の香る頃

画像


4日からハワイオアフ島での休日を愉しみ、昨夕、ホノルルからの日航機で、成田に帰り着いた。
日付変更線で、1日進むが、飛行時間は正味8時間ほど、実際の時差は、5時間だから、ヨーロッパなどの行き帰りよりも、大分楽だった。
成田から自宅までの何と遠いこと!
何だかんだで、3時間かかった。
日本の表玄関が、こんなに不便なのは、考えものである。
16時20分に空港に着いたのに、結局、家にたどり着いたのは、日が暮れて8時近くになってしまった。

駅で買った出来合いのお寿司を食べ、シャワーで旅のアカを洗い落とし、その間にパソコンのウイルス検索をし、更新し、留守中のメール85通に、ざっと目を通した。
スパムはゼロ、ブログ、掲示板、サーバ関係の通知、音楽MLの書き込みなどがほとんどで、個人的なメールはほとんど無い。
だから通常は、せいぜい10通くらいの処、今回は、参加MLの行事が重なり、動きがあったために、いつもより多かった。
返信の必要な物はあまり無いのだが、ネット関係の処理が終わっても、すぐには眠れず、夜中過ぎになってしまい、今朝は、5時半に目が覚めた。

ハワイは30年以上も前の若いときに、一度行っている。
ニューヨークからの帰りに立ち寄り、ロイヤル・ハワイアン・ホテルに2泊した。
知人の世話で、車で市内を回ったが、あまり覚えていない。
今回は、隣のシェラトン・ワイキキに4泊滞在、ショッピングや、街中の食事を愉しんだ。
念願のパールハーバーと、ミズーリ号も見たし、誘ってくれた息子夫婦のもてなしで、ゆったりと楽しく過ごすことが出来た。

思ったより気温は高いようだったが、空気が乾いているせいか、不快な暑さではない。
ホテルでも、街中でも、行き交う人たちは、アロハやムウムウ、素足にサンダルというのが、標準的スタイルで、あまりカチッとした外出着は、使い所がないようだった。
欧米の旅行者は、リタイア後の年配者が多いのに、日本の人たちは、若者ばかりなのが、印象的だった。

向こう時間の8日午後、更に3泊するという息子夫婦に別れを告げて、帰国。
彼らは、親たちを送り出して、ホッとしているに違いない。

庭の金木犀が、満開でいい匂いを発している。
29年前、海外勤務を終えて、帰国した年の秋、夫の母は脳出血で急死。
10月8日、金木犀が満開の時期だった。
そんなことも思い出した。
そして、私は今、その時の母の年齢である。
息子夫婦が、旅行に誘ってくれたのも、なにかの縁だろうか。