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KY実例

午後から聞香の教室に行く。
場所は、JR中央線駅の近くだったが、初めての場所を探すのが下手な私は、やはり迷い、交番で訊いたりした。
早めに家を出たので、余裕はあったが、先生に和菓子でも買っていくつもりが、周りにはコンビニしか無かった。
今度は、自分の最寄り駅で、買っていく方が良さそうだ。

香道は、格式ある席では、座敷で和服という作法らしいが、今回は、立礼によるもの。
膝が悪くて正座が出来ない私は、あらかじめ、それを確かめた上での参加である。
昨日は7人の処、私が、急用で欠席したので、6人だったとか。
もしや、香木の用意などで、迷惑を掛けたのではないかと思い、欠席分の受講料を払うつもりで居たが、先生が「いいですよ」という。
半紙に包んだ受講料を、聞香宗匠の机にある箱に収め、能書きを貰った。

今日は9人という事で、さほど大きくない机を囲んで行われたが、肘がぶつかりそうで、ちょっときつかった。
12月に2回ほど、香道について、香木についての初歩的解説があり、今月は実習が主と言うことだったが、今日初めての人もいたので、もう一度ざっと説明があった。
初めて来た人たちのうち、女性は、講師の話をひたすら傾聴し、わからないところを短く質問するという感じだったが、一癖有りそうな熟年男性が二人いて、プリントを片手に、微に入り細に入った質問を繰り返すのには、いささか閉口した。
こういうものは、一度でわかるものではないし、最初は、とりあえず、香道というのはどんなものかを体験すると言うことで充分だし、まずは、先生の話を心を無にして聴くという姿勢が、第一なのに、頭でっかちな男どもは、とかく、理屈が先に立ち、自分本位の質問をしたがるのである。
講師が、今日使う香木や、香りの種類について、実習を交えて説明しようとしているのに、説明を途中で遮っては、言葉の端端をとらえて質問する。
その都度講師は、丁寧に答えるが、時間がどんどん経ってしまう。
実習時間が少なくなるので、たまりかねて私は、思わず「先に進めてください」なんて口を挟んでしまった。
そこでやっと、講師も、「聞香は聞いて味わうことがすべてですから、説明でわかるものでは有りません。実習に移りましょう」と言うことになって、その男性たちもおとなしくなった。
10分遅れてきて、もう、先生の話が始まっているのに、自己紹介なんかをし、講座の終わりには、名刺なんか先生に渡していたから、なにがしかの肩書きも持っているのかも知れないが、そんなことは、ものを習う場には関係ないのである。
大体、初めての場所に、普段着みたいなズボンにジャンパー姿というからして、おかしい。
若者じゃあるまいし、こういうのを、KYというのではあるまいか。

今日は800年前の香木というものを見せて貰い、貴重な体験。
お香は、最初に4種類、後から、練り香を4種類聞かせて貰った。
予定時間を20分ほど超過したが、あの男どものせいである。
あと2回の講座、楽しみだが、次回以降、彼らと鉢合わせしないよう祈りたい。

弔問

年末に近くの家の奥さんが亡くなった。
女性の平均寿命には、少し間があったのだが、ここ数年、病気で入退院を繰り返し、最近は、訪問介護らしい車が、よく出入りしていた。
ご主人の方は、7,8年前に亡くなり、今度は奥さんである。
後には、40才を過ぎた一人息子が残された。
その息子さんが、私の息子と同じ学年だったので、小学校、中学校の頃は、クラスも同じだったりして、何かとご縁があった。
40才過ぎて初めて授かった子だと言うことで、親夫婦は、私たちより一回り以上も上の世代。
子どもを人一倍可愛がっていたし、ほかの親より子どもに対する思い入れが強く、子供のケンカが親同士のケンカに移行することも度々あり、ウチの息子は、いつもいじめられていたが、高校に入ると、学校が別になったので、ホッとしたのを覚えている。

私の息子は、26才で結婚したが、あちらは、なかなかその気配がない。
「息子にお嫁さんが来たら、仲良く暮らしたい」といつも言っていたので、他人事ながら、心配した。
私の両親が家に同居していた10年以上も前、私の母とその奥さんは、時々顔を合わせると、立ち話などしていた。
ある時、奥さんが、「今、息子が家にいてくれるから、一番幸せ、他人が入らないのがいい」と言っていたのを母が聞いて来て、「早く結婚してほしいというのが普通の親なのに、あんなこと言っていいのかしら」と批判していたことがある。
「本当は逆なのよ、そのまま受け取っちゃダメよ」と私は言ったが、奥さんの気持ちは、案外その通りだったのかも知れない。
そのせいかどうかわからないが、息子さんは、独身のまま、今に至っている。

いつの頃からか、奥さんの姿を見なくなり、陽気の良いときに、自宅の前を、ゆっくり歩いたりしていたのを、見たことがあったが、そんなときは、息子さんが、家の中から心配そうに見ていた。
そのうちに、ベランダの洗濯物も見えなくなったので、入院しているのかしらと、話していたところ、暮れも押し詰まって亡くなったらしい。
残された息子さんは、密葬を済ませ、骨壺を抱えて自宅に戻ってきたが、歳末なので、周りの方に迷惑を掛けるといけないから、伏せておいてほしいと、町会の当番に連絡があった。
だから、離れた家の人たちは知らなかったと思う。
ひとり静かに、亡くなった母親の死と向き合いたいであろう息子さんの気持ちを思い、私たちも、そのまま打ちすぎた。

松が取れたので、当番の人は、一応訃報を告げる回覧を回した。
私たちは、息子の縁があり、また、その奥さんとも、会えば話をするくらいの付き合いがあったので、「お線香を上げさせてほしい」と、昨夜、息子さんが帰ってきた頃を見計らって、電話した。
「ちゃんとお通夜も、葬式もしませんでしたから」と、はじめは固持していたが、「普段着で、玄関先で失礼しますので、ちょっとご挨拶だけでも」と言い、夫と二人、雨の降る中、出かけていった。
歩いて1分もかからない距離である。

玄関先に入れて貰い、お悔やみを言い、「まだいろいろ大変でしょう、何かお役に立つようなことがあったら、言ってください」と告げ、「これはお花でもと思って、気持ちだけですから」と、わずかばかりの金額を包んだ物を差し出した。
息子さんは、上がり框に正座し、「散らかってますので、上がっていただけなくて済みません」と言いながら、深々と頭を下げたが、目には、うっすら涙が浮かんでいた。
一人息子で、結婚していないから、両親を亡くした今、肉親が居ないことになる。
寂しさと孤独感は、いかばかりだろう。

長居せず、帰ってきたが、冬の雨の冷たさが身に沁みる夜だった。

肝に銘じたいこと

今日から世の中は、平常に戻ったようで、繋がりの悪かったインターネットも、普通に動くようになりました。
私の生活に占めるネットの割合は、だんだん増えていきます。
自分の健康状態や、家族のケアなど、以前のように自由気ままに出歩く機会が少なくなるにつれ、ネットがあってよかったと思うようになりました。
どこにいても、いつでも、思ったこと、感じたことを、そのまま、表現でき、すぐに発信できるネット。
利便性と、速さの点では、活字や映像に比べても、優れた媒体であり、私のような一介のシロウトが、活字やプロの書き手の助けを経なくても、空中に自分の場所をもち、そこでいろいろの人たちとの交流も出来るようになりました。
これは、多分、私の親たちの時代には、思っても見なかったことだったと思います。

ネットに溢れる情報は、膨大にして玉石混淆、その中で、自分にふさわしいものを選び、顔の見えない発信者の中から、共に影響し合い、成長していける仲間を見つけることも、自分自身の責任と器量に掛かっています。

今年も私は、パソコン画面を使い、拙い文章表現を通じて、ネットで発信し、ネットで巡り会った良き「友人」達との交流を深めていくでしょう。
しかし、これは、一面両刃の剣を手にしていることでもあります。
それだけに、私が参加している、さるWEB句会主宰の下記の言葉は、ネットに携わる者として、深く心したいものだと、感じ入った次第です。

ネットでのやりとりは言葉がすべてです。
ネットでは「あの人はよく知っているから」というお付き合いにすがれる要素が少なく、たったの一言で人が活性化し、不用意な一言で破滅します(これはちょっと大袈裟か)。
ということは、言葉ということを大事に思っている人にとっては、ネットでの創作や交流は実は表現や感受性の訓練に大層有効な土俵であるということにもなります。

三が日

例年息子夫婦が大晦日から来て、正月1日、時には2日まで我が家で過ごすのが習慣になっている。
息子の妻は料理が得意なので、暮れにどっさり作ったおせちを車で運んでくる。
夫婦二人で働いていて、めったに親元に顔も出さないからと言う気持ちもあるのだろう。
私も彼女の料理を当てにして待つようになった。

ところが、今回は、彼女が珍しく風邪を引き、咳が取れないからと、大晦日はパス。
「料理は作ってあるんですけど」と電話があった。
車で取りに行くには、遠いし、夫も億劫そうだ。
そこで、「三が日の間に、ちょっと来られたらいらっしゃい」というようなことになり、親二人の大晦日は、静かに過ぎた。
明けて一月朔日、息子が料理だけ持ってやってきた。
嫁の方は、熱はないが咳が取れないので、移すと悪いからと言う。
私は自己免疫の低い体質、息子もそれを気にしている。
考えてみると、息子が結婚して15年、我が家に来るときはいつも二人一緒だった。
結婚したとき、そんな約束をしたのだと聞いたことがあった。
子供がいれば、そんなことも、どこかに行ってしまうのかも知れないが、息子夫婦には子供がいないので、初期設定のままなのである。
ヨメさんには、気の毒したが、私たちにとっては久しぶりの、親子3人の祝膳となり、話も弾んだ。
息子は泊まらずに、夕方6時過ぎ、妻の元に帰っていった。
私たちは、ウイーンからのテレビ中継放送で、ヨハン・シュトラウスほかの音楽を楽しんだ。

2日、私宛に来た年賀状に返事を書く。
プリンタの調子が悪いのと、10月に私のパソコンのOSを再インストールした際、年賀状ソフトがどこかに行ってしまい、せっかく入力してあった宛先が無くなってしまったため、今までのようにプリンタですいすいとは行かなくなってしまったのである。
暮れの忙しいときに、一枚一枚手書きで書く気にならず、結局年が明けてから、と言うことになったのだった。

年賀状は、正月第一日に届かないと、あまり効果が無いと言われるが、私は、昔からこれが苦手である。
学生時代までの自由時間が多かった時期や、会社で働いていた時代は、せっせと書いたように思うが、主婦になり、家事や育児に取られる時間が多くなって以来、年賀状を書くことは、余り楽しいことではなくなってしまい、年末の忙しい思いをする時期に出す年賀状という物は、手を付ける気にならないのである。
「年賀状は、貰う立場に合わせて出すモンなんだよ」と夫は言い、確かに正論だと思うが、バタバタ立ち働く年末より、やっと年が明けて、落ち着いた気持ちになる正月の夜にならないと、そう言う気持ちになれないのである。

この10年くらいを振り返っても、元日に着くべく年賀状を投函できたのは、2,3回。
あとは全部、正月になってから出している。
その代わり、通り一遍の年賀状ではなく、返事と近況報告を兼ねて、書くので、一枚一枚違うし、時間もかける。
それを2日か3日に投函するので、相手に届くのは、4日か5日、もう正月気分も失わいかけてからであろう。
それでも、変わらず年賀状をくれる相手は、私の遅い年賀状も、きちんと読んでくれている人たちなので、大事に思っている。
昨年は、全部で70枚くらいだったので、これから来る分も入れて、昨年より少なそうだ。
連句関係者が一番多く、あとは、学生時代の友達など。
私の年になると、同世代の友人、知人の中には、連れ合いに先立たれたり、少し若い人でも、親が亡くなったりのことが多いので、いつもくれる人の年賀状が来ない場合は、そう言う状況だと判断している。
50枚以上の手書き年賀状を書いたら、さすがに指の力が抜けた。

今日3日、夫はスポーツクラブに出かけ、私は午後から老母のところに顔を出す。
一日目は誰も来なかったと寂しがって、何度も電話をよこしたが、昨日は姪が行き、今日は私と、その後から別の姪が子供連れで来たので、母も満足しただろう。
二時間ほど団欒して引き上げた。

帰宅途中荻窪に駅ビルに入ると、どこの店にも福袋が積んであるがパス。
もう物は増やしたくない。
ところが、同じビルにあるユニクロで、綿のタートルネックのシャツが安く売っていたので、つい3枚ほど買った。
これを着て上にセーターを着ると暖かく、冬場の衣類として愛用している。
私はアレルギーがあるので、肌に触れる衣類は、化繊はダメ。
このところ、もっぱらユニクロの綿製品を愛用している。

帰宅して夕食の時間。
息子が持ってきた料理がまだ沢山あるので、手間が掛からない。
今日から始まった大河ドラマ「龍馬伝」を見る。
なかなか良かった。
明日からゴミの回収その他、世の中は平常に戻る。