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記憶いろいろ

人間の記憶力というのは、やはり老化と共に衰えるのだろうが、一方では、昨日のことより、50年、60年も昔のことの方が鮮明に残っていたりする。
理屈はよくわからないが、人間は、記憶の中で、自分にとって、残したいもの、忘れてもいいものを、自動的に取捨選択して、脳の中で振り分けているような気もする。
そう言う意味では記憶力というのは、いわゆる知力というか、IQとはまた違ったことのようにも思える。
しかし、人間は感情の動物でもあるから、自分が愉しく思ったり、感動したことだけでなく、非常に不快に思ったり、無為に傷つけられたり、痛みを感じたこと、本当は消してしまいたい、自分のあやまちなども、拭いがたく残っていることがある。
戦争の記憶、大事な人との生き別れや死に別れ、感動を伴った映像や音楽、書物、それらも、細部は忘れても、その時感じた心情や、胸の震える思いというのは、時間が経っても、忘れない。

私が、誰かと知り合ったり、何かの場面で、会話を交わした相手と、出来れば、互いに良い印象を持った状態でいたいというのは、いつも思うことである。
それは、顔も実名も知らぬ、電波空間であっても、同じである。
生身の人間は登場しなくても、電波の向こうにいるのは、紛れもなく、血の通った人間であり、通常の感情も、怒りも、悲しみも、同じように持った人だと思うからだ。
しかし、自分も含めて、人間は、いつもバランス良く生きているわけではないから、時には、感情にまかせて、人に吐け口をぶつけたり、リアルの場では、キョーヨーが邪魔して言えないようなことを、ネットでは、気軽に悪態をついたり、第三者の「暴言」的言辞に託して言ってしまうということも起きるのだろう。

そう言う現場に遭遇したとき、私は心の中で「しょうがねーな、子供だな」と思ったり、そう言う発言を引き出したのは、こちらにも原因があったのかなと反芻し、直接対決はしないようにしたいが、同じようなことが、違う場面で2度、3度あると、これは、明らかに、確信犯というか、人を不快にさせる目的で言っているなと思うから、心穏やかではなくなる。

そんなときどうするか。

5,6年前、一度そんなことがあり、当時は、私も血の気が多かったので、聴き流しせず、直接言い返した。
相手は「そんなつもりで言ったのではない、あなたの誤解です」と逃げた。
そんなつもりで言っているのに、指摘されると、相手の誤解と言うことにして済ませる、ずるい手である。
2度、3度あると、この人はこういう人なんだなとわかる。
そう言う相手とは、ケンカするだけ無駄なエネルギーを費やしてソンだから、無視するのが一番いい。
なるべく、そんな場面に出会わないようにしたいと思うだけである。
これは、私が、一面狡くなったことでもある。

因みに、これは、私の参加しているSNS以外の場所での話である。

CDを聴きながら

さっきまでCDで、ベルリンフィル、ビシュコフ指揮のショスタコヴィッチ5番を聴いていたが、こういう曲は、やはりコンサートホールで聴きたいなと思った。
そこで今度はバッハのオルガン曲。
ダニエル・コルゼンパ演奏の「トッカータとフーガ」。

オルガンも、CDでは長くなると煩い。
そこで今度はブラームスとメンデルスゾーンのV協を。
アムステルダム・コンセルトヘボウ、ベルナルト・ハイティンク指揮で、ヴァイオリンはヘンリック・シェリング。
これはBGMにはいい。

5時過ぎて日が落ち、気温も低くなってきた。
雨戸を閉めて、そろそろ夕飯の支度に掛からねば・・・。

6時。そろそろ亭主が一杯飲みに、2階の書斎から降りてくる。
我が家は飲み屋か。
若いキレイドコロじゃなくて悪いねえ・・・。

逼塞

今日は午後、合唱アンサンブルの練習だが、声が出ないし、熱はないが行けそうもない。
レッスン後のお茶の会も申し込んであったが、両方キャンセル。
ノートパソコンの接続部品やコード、夏小屋に忘れてきたと思っていたら、夫のリュックに入っていたそうな。
私の書斎は、電気ヒーターしかないので不経済。
ノートがあれば、居間で床暖房を入れてテレビも横目で見られる。
冷たい雨が終日降り続く気配。
暖房を入れて、大人しくしている。
夫は友人の絵の展覧会に出掛けていった。久しぶりの留守番と言うところ。

BGM

このところ、机に向かって何か書いているときに、BGMとして、家にあるCDを聴くようになった。
さっきは、懸案の手紙3通書いたが、その間に聴いていたのは、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲、「アメリカ」(イタリア弦楽四重奏団)。
先日、武蔵野市民文化会館のコンサートで、ウイーン弦楽四重奏団のアンコールに、これの第2楽章を演奏し、すっかり好きになった。

そのあと何にしようかと考え、昨日ブラームス「ドイツ・レクイエム」の練習があったので、イメージトレーニングを兼ねて、「ハンガリー舞曲集」を掛けてみる。
クルト・マズア指揮。ライプツィヒゲバントハウスの演奏。
21曲有るうち、私が昔から良く聴いたことのある曲は、6番くらいまでだから、たまには全曲聴いてみよう。
1番と5番は、クラシック音楽に疎い父が好きだった。

記憶の中の一日

そうか、今日は三島由紀夫の命日でもあった。
昭和45年11月25日。享年45歳。
夫が会社から電話で知らせてくれて知った。
「テレビ、見てご覧」というので、点けてみた。
衝撃だった。言葉も出なかった。

翌日、父から、妹が食事もしないで泣いているから、何か言ってやってくれと、電話が掛かってきた。
全共闘世代の妹は、学生運動に挫折してから、三島に傾倒しはじめていたらしい。
私は、三島の「春の雪」を読んで、感動した頃だったが、妹に何か言ってやれたかどうか、記憶がない。
幼児を抱えた女には、毎日が忙しく、目まぐるしく過ぎていく日乘でもあった。

その頃「題名のない音楽会」と言う番組は、は黛敏郎が司会者だった。
三島とも親しかった黛は、追悼として、三島の愛したというワグナーの「トリスタンとイゾルデ」の序曲を番組で流した。
三島の葬儀では、村松英子が弔辞を述べていた映像が記憶にある。