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ペルゴレージの遺産

昨日からマークしてあったのに、近所で救急車が来る騒ぎがあり(それは大したことではなく、すぐに引き上げた)うっかり前半を聴き損なったのだが、ペルゴレージの「スタ-バト・マーテル」、ドレスデンの教会での演奏を聴いた。
最初にヘンデル、バッハの短い曲があり、その後で、ペルゴレージの全曲演奏に入ったらしい。
よく知られているのは、全12曲の内の最初の重唱だが、気づいてテレビをオンにしたときは、すでに終わっていた。
そのまま、途中から聴き、ソプラノとメゾソプラノのソロ、管弦楽もいい演奏で、後半の30分ほどを堪能することが出来た。
教会の、ステージ(でなく祭壇というべきなのだろうが)をぐるっと囲むように出来ている座席に満員の聴衆。
その中でわが子の死を悼む聖母の悲しみと祈りの歌は、キリスト教徒でない私にも、胸に迫る物があり、涙が出た。

ヨーロッパの教会は、もともと祈りと神への感謝を唱える場所である。
そこから始まったのが、人の祈りのことばと、声に出して唱える歌であり、唱和して奏でられる楽器であり、教会以外の場所でも聴かれるようになり、今のような演奏会での音楽になっていったのだろう。

そういう成り立ちと歴史の中で、キリスト教徒でなくても、聴いたり、歌ったり、演素しているわけで、時々その原点に戻って考えると、この旋律は何を表現しているのか、この歌詞は、どんな意味を持ち、どういう場面で生まれたかと言うことについて、やはり思いを至すのは、自然なことかも知れない。

私は、聖書をごく一部しか読んだことが無く、ある時、西洋文学や音楽の理解のためには、やはりキリスト教を知らなくては、深いところで感じ取ることが出来ないのではないかと思ったことがあった。
そして、神学部や、キリスト教学のカリキュラムを設けている都内のいくつかの大学を調べ、そこで公開している専門の講座に通ったりしたが、知識としてはある程度理解できたような気になっても、自分の精神生活の中に、日常的に入っていないことと言うのは、やはり心の底からわかり、感じると言うこととは別なのだなということを痛感した。

私が好んで聴いたり、時には合唱アンサンブルに参加して歌っている曲は、みな、キリスト教と結びついた西洋の音楽である。
何年か前、国際フォーラムで感動したのは、「ラ・ヴェネクシアーナ」という古楽アンサンブルの演奏で、バッハよりも前の時代のブクステフーデの曲だったが、初めて聴いた曲だった。
演奏がすばらしかったこともあるが、磔になったキリストの体を悼む歌詞が付いており、聴いた人たちがどのくらいそれを感じ取ったかは分からない。
多分、私も含め、いい音楽だとだけで聴いた人も少なくなかったと思う。

宗教音楽を、音楽としてだけでいいと思えばそれでいいのかも知れないが、私の好む物は、大体人間の声で奏されることばが付いている。
典礼に従った決まり文句も多いが、作曲者によって、いろいろなバリエーションを伴って、それぞれが、別の音楽である。
演奏者によって、また指揮者の解釈によって違いが生じ、ある意味での質の差も出るのは仕方がない。
そして、私のように、クラシック音楽鑑賞歴の乏しい人間にとっては、どういう演奏がよく、どういう歌い手なら、いいのかという判断も付かない。

それでも、知らず知らず胸が熱くなり、泪さえ伴うこともあるのだ。

今朝、途中から聴いたのは、そういう音楽であった。
3月中に5回の放送があったのに、深夜とか、明け方とか、外出中とか、時間帯がかみ合わず、かろうじて最後の30分だけ、聴いたことになる。

2010年11月27日 ドレスデン「フラウエン教会」
指揮:ベルトランド・ビリー
演奏:シュターツカペレ・ドレスデン
独唱:アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
    マリアンナ・ピッツオラート(メゾ・ソプラノ)
曲目
   F・Y・ハイドン「十字架上のキリストの最後の七つの言葉(管弦楽版)ー「序曲」「第1ソナタ」
  J・S・バッハ「「マタイ受難曲」より「憐れみ給え」
  ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ「「スターバト・マーテル」全12曲


ちなみに4月2日、クラシックチャンネルで、クラウディオ・アバドが指揮した同じ「スターバト・マーテル」、全曲が放送される。
ミラノスカラ座、1979年。
ソプラノ「カティア・リッチャレリ」、メゾ・ソプラノ「ルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニ」
オシアッハ修道院教会での演奏。
以前動画で見た演奏の歌手たちが同じだが、重唱は今朝聴いた歌手たちより、いいかもしれない。
今から楽しみにしている。

(動画は今でも表示されるが、ここにURLを引くことは避けておく)

「蜂の巣の子供たち」

テレビの日本映画専門チャンネルでこの映画を見て、子供の頃の記憶と重なり、涙を禁じ得なかった。
戦後数年して封切られた映画だが、題名も映画のシーンのいくつかは記憶に残っている。
多分、学校の校庭に映写しに来たか(当時はそういうことがよくあった)、先生の引率で、映画館に連れて行ってもらって見たのかもしれない。

モノクロで、戦後の風景そのままの戸外撮影と、当時まだ沢山残っていた焼け跡や、あばら屋での、復員兵と戦災孤児たちの共同生活を描いている。
出演した子供たちは、監督の清水宏氏が、実際に自分で引き取り育てた戦災孤児たちであり、ほとんど野外ロケで作った映画とある。
小さなエピソードの重なりで作られているが、当時を知る人間には、見たような風景、見たような人たちのいろいろな場面が蘇り、心に染みるものだった。

私は昭和18年から戦後の21年までの3年間を、父の実家の福岡県で過ごし、東京に戻ったのは21年冬、前年4月の入学時は国民学校だったのが、終戦後、程なくして、小学校と名前が変わり、2年生になっていた。
東京はまだ焼け跡だらけ、学校は間借り校舎で、校庭は本校の生徒に遠慮して、隅っこで遊んだ。
本校の先生が「あんたたちは隅で遊びなさい」と云ったからでもあるが、そういうことも、当時の子供は仕方がないと受け止めていたのだろうし、仲間同士、屈託なく遊んでいた。
防空壕に逃げ込むこともなく、裸電球でも夜は灯りがあり、貧しくて、ろくなものも食べられなかったが、親たちが、生きるためにどんなに大変な思いをしていたか、分かっていたからだろう。

でも、後に自分たちの校舎が建ち、先生も子供も、みんなで一緒に教室の道具を持ち、歩いて引っ越ししたときは嬉しかった。
子供の世界は大人の世界を映す鏡である。
何を見たか、見なかったかと言う違いが、成長の過程で生きてくるのだと思う。

戦後の風景も、昭和30年くらいまでは、残っていたと思うから、映画も、野外セットなど組まなくても、村や町の風景がそのまま使えたのだろう。
町中は物々交換もあり、アイスキャンディがごちそうだったが、アンモニアの臭いがした。
上野公園には、戦災孤児がいたし、角棒をかぶった大学生が、ぼろぼろの服を着て、屋台でピーナツを売っていた。
それらはごく当たり前の、日常の風景だった。

私の末の妹は戦後生まれ、団塊の世代である。
きょうだいが3人、4人が普通だった時代は、家族の間の会話で、少しずつ補うので、同じ時代を生きてきたという感じはあると思う。
一番の違いは、私の級友たちには父親を戦争で失った人が少なからずいたが、戦後生まれの人は、少なくとも父親がいたわけである。
こういう映画を見ると、そのことを一番思う。
戦後70年、日本では、夫を、父親を、戦争でなくすと言うことがなくなったのは、いいことには違いない。

この映画は、悲惨な現実も描いているが、救いのある終わり方がいい。
出演した子供たち、私と同じくらいの年頃だから、今すべてが健在かどうかは分からないが、監督は、映画の出演者としてだけでなく、子供たちに明るい未来を託したかったのだろう。

子供というのは凄い。
当時過保護なんてことばはなかったが、どんな環境におかれても、何とか適応して生きていこうとする力がある。
今の子供にも、まず「生きる力」をもってほしいと思う。

「元交際相手」?

最近ふえたストーカー殺人事件などに伴って、ニュースなどで使われるこのことば。
「元交際相手」とはなんぞや。

今は交際がないが、以前何らかの付き合いのあった相手という意味だろうが、それが何らかの事情で別れるに至ったのであろう。
男女の関係というのは千差万別。
別れたのに、また縒りを戻すとか、こちらは別れたつもりなのに、相手はまだ執着を持っているとか、要するにすっきりとは行かないうちに、執着から抜けきれない相手によって、事件にまで繋がってしまう。

そして、今までの例で見るかぎり、執着の強いのは男のほうであるらしい。
学校でも人気があり、勉強も良くでき、何も問題の無さそうな女性が、以前付き合いのあった男性からのストーカー行為に悩まされ、警察にも相談していたのに、自宅で殺害されたといういたましい事件があった。
そのときも「元交際相手」と報道され、「元交際相手」って何なの?と亭主に訊くと、今は、中学生くらいでも、「交際」の中身は、昔の中学生のペンフレンド程度のものではないそうな。
気が合わないからこれで別れましょうとは、簡単にいかない面があるらしいのである。
 
「元恋人」とか、「以前同じ会社で一緒だった相手」とか言えば良さそうなのに、あまりに「ストーカー」的犯罪がふえたために、報道する側とか、警察関係で、人権に関わる配慮もあってのことかもしれないが、「元交際相手」と言う、一見便利なことばで一緒くたにして報道している。

でも、「元交際相手」ということば、関連事件がある度に報道されるので、だんだん薄汚いイメージが伴って、被害者の女性の、本来人に知られたくないような過去の人生まで暴かれることになったり、家族にとっても、余りいいことばではないように思う。

出会うのは実に簡単だが、別れるのは難しい。
昔、著名な作曲家で、よくテレビに出ていた重鎮が、「私が女房と別れないのは、エネルギーがいるからです。それに費やすエネルギーを考えると、黙って続けていたほうが楽だからです」と、けしからんことを言い、聞いた奥さんはどう思うだろうとハラハラしたが、お互い納得の上での、メディア向け発言だったらしい。

折角出会った二人が、不幸にしてうまく行かなくなったり、どちらかが心変わりをして、別れたいと思ったとき、別れを言い出す側は、「相手を傷つけないために、どんな誹謗中傷を受けてもいい覚悟で、あくまでも自分のほうが悪いと言うことで、別れること」という文章を読んだことがあるが、そういう「配慮」というか相手に対しての「思いやり」があれば、多少は違うのかもしれない。
でも、そんなことくらいでは気持ちの収まらない心情に至った相手であれば、無駄かもしれないが・・。

「元交際相手」に命を奪われるくらい、情けない、つまらないことはない。
生きていれば、新しい人生をやり直せたかもしれないのに。
同性として、今どきの賢い女性が、そういう目に遭わないようにと願う。