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お墓

テレビで見た現代墓事情。

今、先祖代々の墓、これから自分が入る墓、も含めて、今後どうやって維持していくかが、問題になっているという。
古い家族制度の中で維持されてきた墓。
子どものいない人、継承者の居ない人、墓参りに行くにも、遠方で出来ない人、お金の問題もある。
現代の生活と合わない面が出ていることは、確かなようだ。
墓に関する家族の考え方、親族関係にも関わり、簡単ではない。
困り果てた挙げ句、どうすればいいかという相談も増えているようだ。

家制度でなく、個人の問題として墓を考える人もいて、「墓じまい」する人もあるらしい。
自分の代で終わりにする人。
親しい人間関係で、共同で墓参りする例。
昔ながらの墓石でなく、樹林墓地と言うスタイル。
血縁のない人と一緒に埋葬して貰い、永代供養して貰う。

そもそも墓を持たず、亡くなった後に遺体を引き取り、火葬場に運んで貰う。
死後は写真などに手を合わせて貰う。
いろいろな例を紹介していたが、放置されて、無縁墓になるよりはいいということで、新しい形式も出てきているようだ。

墓の機能は、本来、遺骨を埋葬する場所。
死後に縁者がお参りする場所。

亡くなった人の子孫、親族、縁者などにとっても、考える時代になっているようだ。

女の長話 

田辺聖子の小説に「女の長風呂」と言う作品があったような気がするが(この辺は自分の記憶だけで書いているので間違っていても責任は持たない)、私は長風呂はしない代わりに、「長電話」「長話」はよくやる。
「あの人は、話題を途中から自分に引き寄せてしまうから困る」などという陰口をきいた連句仲間の男が居たらしいが、ナニ、自分を主にした話に持って行くところは男のほうが多い。
女は、自分の経験に基づいて言うだけだから大して罪がないが、男のほうは、自分の言いたいことを天下国家の話にして、何となく相手を説得してしまう技を心得ているので、それが、マスメディアの人間だったりすると、少なからぬ影響を及ぼす点、罪が重いと思う。

さて、今朝掛かってきたのは、昔職場で一緒だった女性からで、前置きとして、最近の世相や、自然災害や、高齢者をターゲットにした詐欺事件や、笑い話になったりする程度の体の衰えなどの話が続き、「10月に一度集まらない?」という話が出て、こちらが本題であった。

私が社会に出て勤めた会社は、当時銀座に本社を構えていたが、同じ部署で働いた人たちのうち何人かが、細々とではあるが、今でも何かしらの交流を持っている。
4年半の在社中、部長、副部長はじめ、仕事上の関わりを持った人たちは沢山いたが、退社後も付き合いがあったり、その後の数十年の人生の中で、消息のわかる人たちは、ごく少ない。
元上司、先輩社員達は、長い間には、亡くなったり、行方がわからなくなったり、私のほうも、夫の海外転勤に伴う移動も含め、何度も住所が変わり、「あの人、どうしてるかしら」という対象になっているかもしれないが、そんなこんなで、今でも、年賀状をやり取りしたり、電話をかけたり、顔を合わせる可能性があるのは、私の1年後に入社した女性1人、男性1人、私の退職した年に入社してきた男性ひとり、この4人位である。

前回彼らと会ったのはいつだったかと、調べてみたら、SNSの非公開日記に、昔読んだ小説のタイトルを借りて、私の「されどわれらが日々・・・」を書いてあり、2008年10月終わりとある。
そうか、あれからもう6年近く経つのかと、感慨深いが、その日記に出てくるセツコが、今朝の電話の主で、毎年「今年も一度会いましょう」と年賀状では書きながら、いつの間にか時間が経っていたのである。

長い前置きの後、本題に入り、ヒロシは昨年奥さんを亡くして以来、元気がないので、10月に呼びかけて、銀座で会いたいけど、どうかという提案だった。
もう1人の男性、トシキも、あまり調子が良くないらしい、結局女のほうが元気なことになるのかしらという話になり、セツコが場所を決め、、ヒロシに都合を訊き、改めて調整すると言うことで、いったん長い電話が切れた。

その間、亭主のほうは放っておかれたが、仕方がないと思っているのだろう。
遅い朝食を済ませ、しばらくしてセツコから再電話、ヒロシと連絡でが付いたので、彼の都合に合わせて10月30日に、銀座で女子会ランチに招待と言うことになったらしい。
トシキはやはり無理らしいと言うことで、今回は誘わず、次の機会(いつになるかわからないが)に譲ることにした。
今度は「長電話」にならずに終わった。
「われらが日々・・」の続きを語り合うのが、今から楽しみである。