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読書の系譜ー乱読は止まらない

小学校から中学生くらいまでの頃を思い出すと、当時は、家庭と学校以外に、成長期の少年少女が、知的(ばかりではないが)欲求、好奇心を満たす手だては、1に読書、2に映画、あとは、自分より年長の人たちとの付き合いくらいがせいぜいで、一応まじめな少年少女達が、身を置く「健全な」場所も限られていたし、特に、女の子は、夜遊び歩くなどということも、出来なかったので、「読書」が大きな部分を占めていたと思う。
それは、今の若い人たちからみると、なんて狭い世界でしか生きられなかったのだろう、可哀想にと言うことになるかも知れないが、当時の子ども達は、防空壕に逃げ込むこともない世の中になり、明るい電灯の下で本が読める幸せのほうが大きかったし、選択肢が限られていた分、読書も、人付き合いも、成長の助けになるような、深みのある関わり方を大事にしたのだと思う。

岩波文庫が★一つ10円とか20円くらいの時代だったが、本好きだった父が、戦前から大事にしていたものも含め、「文学書」のたぐいは、結構家にあったので、私は小学生の時からそれらを次々と読み、まだ経験していない未知の世界に憧れた。
戦後の日本は、暫くの間、子どもの読み物も不足していたので、終戦後復員してきた父が、福岡県の街中をかけずり回って手に入れた古本のうち、何とか読めるものを探して読んだが、そのうちに講談社が発行した「幼年倶楽部」などと言う雑誌は、読書に飢えてきた子どもにとって、大変貴重なものだった。

小学校も高学年になると、世の中も少し落ち着き、出版物も徐々に出回るようになったと思う。
その頃、父が古本屋から買ってきた巌谷小波、鈴木三重吉、小川未明などの書いた童話の本は、繰り返し読み、友だちにも貸したりして、そのうちに失われたものもある。
当時、小学校に図書室があったかどうか、記憶が定かではないが、教室の隅に置かれた本棚くらいはあったように思う。

中学生になると、私の入学した私立の女子校には、図書室があり、借りることも出来た。
家にない本、新しく出て、学校に置かれてあるものは、借り出して読んだ。
その頃、ある先生が、読書について、こんなことを言った。

初めは、何でも、読みたいものをどんどん読みなさい、でも、いつまでもそれではいけない、ある程度読み、習慣になってきたら、今度は、作家や、内容をよく吟味して、「精読」するといい。

先生の言うことだから、それが正しいのだろうとは思ったが、まだ中学生、読んでいけないというようなものは無理に読まないが、そもそも、作家や小説の内容を「吟味」して読むほど、沢山の本に接していないと思った私は、「忠告」を無視して、相変わらず「乱読」を通した。
多分、その先生の言った意味は、本がまだ世の中に豊富に出回っていない時代だから、他の人のことも考えて、借りる本の数を控えめにするとか、一冊の本を繰り返し読んで、しっかり心の中に収めなさいと言うような主旨だったのだと、今は判るが、当時は、多分、自分の読書欲を削がれたような、受け取り方しかできなかったのだろう。

本を読むことが何よりも好きで、習慣になっていた私だが、一度だけ、本を読むのをやめようかと思ったことがある。
それは、小学校の3年か4年の時の経験。

私は、終戦の年、福岡県の国民学校に入学、2年生の2学期までを過ごした。
次の年、戦地から帰って来て、先に東京に生活の場を設定しに行った父が、私達家族を呼び寄せたので、母と子ども達全員が父のいる東京に帰った。
仲良くなっていた福岡の同級生と別れて、3年ぶりの東京だったが、言葉はすっかり田舎の言葉になっており、なかなか馴染めなかった。
ただ、その時の受け持ちの女の先生は、いつも私を庇い、気遣ってくれた。
その先生が、ある時、急病で学校に来られなくなり、私に伝言があるからと言って、別の先生が家にやってきた。
電話もない時代だから、担任の先生から学校に伝言を寄越すことも、それを聞いて、実行するのも、時間が掛かったろうと思うが、もう夜になっていた。
そして、伝言というのは、こんな内容だった。
「あした先生が学校に来られない代わりに、アナタにこの本を教室で、みんなに読んでほしいといってます」、そして、一冊の本を私に見せ、「読むのはここからここまでです」と言い、紙切れでページを区切った本を渡してくれた。

誰が書いたのかは忘れたが、野口英世の伝記だったことだけ覚えている。
一見したところ、習っていない漢字が混じった本だった記憶がある。
戸惑っていると、その先生は「アナタなら読めるから大丈夫だと先生が言いましたよ」と言い、本を置いて帰ってしまった。

仕方がないので、父に頼んで、読めない幾つかの漢字に、ふりがなを付けて貰ったりし、翌日学校に行った。
当時は、冬でも、暖房もない寒い教室だった。
私はみんなの前で、言いつけ通り、本を読んだが、クラスの悪童共は、先生のいない開放感に喜んでおり、同級生がたどたどしく読むような、本の内容など、黙って聞くような態度ではない。
教卓の前で、寒さで震えながら立って本を読んでいる私を、からかったりした。
私は泣きそうになったが、兎も角、その時間が終わるまで、本を読み続けた。
多分、みんな、野口英世の伝記など、面白くなかったに違いない。
内心、先生を恨めしく思い、苦行に耐えたが、翌日学校に来た先生に「難しくて、ちゃんと読めませんでした」と言った覚えがある。
その件はそれだけでおしまいになったが、暫くの間、私は本が嫌いになり、またこんな事があったらいやなので、教科書をすらすら読むようなことは、しないようにした。
その時の小学校は、5年生の夏休みまで通い、その後引っ越して新宿区に移り、そこで卒業している。

つまらない体験談を、思い出すままに書いたが、本当は、今日図書館で借りてきた本のタイトルを書くつもりだった。
借りてきては読まずに返すことが多いが、本を読むことも、なかなかエネルギーを要する。
年を取ってから硬質の難しいものを読み通す事は、段々出来なくなっている。
たまたま、新訳が出たというので、鴻巣友希子訳の「風と共に去りぬ」を借りてきたが、私が昔読んだのは、大久保康雄訳だったと思う。
新しい訳が、どんな感じなのかちょっと眺めてみたくなったからで、文庫本になった分の1巻目だけ借りてきた。
電車の中では、割合効率的に読めるので、持ち歩くうちに、消化できるかも知れない。

あとは下記の3冊。新刊のフィクションものは無し。
最近の若い作家の小説などは、ごく一部を除き、なまじ読まない方が幸せのような気がする。
すでに、いつ死んでもおかしくない年になった「波の女」の趣味には、大体合わないのである。

坂崎重盛         「絵のある岩波文庫への招待」  芸術新聞社
丸谷才一・池沢夏樹    「愉快な本と立派な本」      毎日新聞社
荒川洋治         「文学の空気のあるところ」    中央公論新社

猛暑到来

今日は、今年一番という暑さ。
朝のうち、庭仕事をしていた夫も、2時間経たないうちに引き揚げた。
熱中症になっても困るので、無理にしなくていいと思う。
どうせ秋になれば、庭師が来て、全部やってくれるんだし・・・。
私は寒さには強いが、日本の夏は、きつい。
南米で暮らしたとき、日差しは強かったが、ちょっと日陰にはいると、涼しい風が吹くし、空気がからっとしてるので、過ごしやすかった。
梅雨が明けたら、毎日こんな猛暑が続くのだろう。
ジメジメもイヤだが、キカイに頼らなければ、熱中症になってしまいそうな日本の夏は、昔よりつらくなったと思うのは、トシのせいか?

大学時代のクラス会に出かけた夫から、帰宅のバスを待ちながら、「熱中症になってないかい?」と電話が掛かって来た。
電気代が掛かるからと冷房をケチって、暑さに耐えている私を想像して、気遣っている。
でも我が家は幸い、窓を全開にして風を入れれば、一階は、正午前後の2,3時間を除き、さほどつらくない。
2階の亭主は、冷房無しではいられないようだ。
思考力も低下し、一日ぼおっとして、何をするにも能率の悪いこと。

脳髄に妖怪棲める極暑かな  莉由